STATEMENT

大人たちが隠す世界に、良くも悪くも好奇心を覚えていた幼少期。

 自分の触れることのなかった世界、知る必要もない世界。

 目の当たりにした悪行、汚行、珍妙な出来事に目を背けてはいられなかった。

 元々、「普通とは違うもの」が好きだったのもある。そういうものに何か魅力を感じてしまうし、私の好奇心の対象であった。

 日常的に絵を描くようになると自分なりに解釈した死生観や、自分の精神状態をダークユーモアを交えて作品としてアウトプットしたいと思い巡らした。

 制作に取り掛かる際、試したい版種や使いたい色、構図などは湧き出るように思いつく。しかし、「何をモチーフにするか」で毎回悩んでしまうのだ。ダークユーモアやドラッグをテーマとして含ませたいとは毎回考えている。ただしあくまでも「含ませたい」だけなのである。

もっと何か違うもので自分の表現したいものを具現できるのではないかと考える。

悩んで悩んで悩んで文章を書いたり、ラフを描いたりしても何も思いつかず、何をやりたいのかよくわからなくなっていき一歩も足を動かせない沼でもがき苦しむ。

この泥沼から早く抜け出したくて悩んで悩んで悩んでいると、

 ある日

 朝起きた時、身支度をしている時に降ってくるのだ。すごくぼんやりとしていてディティールなんて全くわからないモヤのようなものを、

とりあえずアタリとして紙に描いていく。

もちろん描いている自分は完成図なんてわかっていない。

描画し続けながら次に描くことがどんどん指示されていくように描き進めていくのだ。

 

 そうして今日も自分でもよくわかっていないが生み出されてしまった気味の悪いねこ達に囲まれて作品の前に立つ。
When I was a child, I was interested in the world hidden by adults, for better or worse.

A world I’ve never touched, a world I didn’t need to know.

I could not turn away from the wickedness, depravity, and strange things I witnessed. And, I liked “something different from other people”

猫を見るとついついいろんなエピソードを想像してしまう。

特に家にいる猫を観察していると、その人間らしい面白い行動を目で追ってしまう。 

「じゃあ、行ってくるね。」

と人間が家から出ていくと、すっと2本の足で立ちあがる。 すたすたと歩いて自分の器にキャットフードをざらざらと盛り、深くソファに腰掛ける。

テレビのチャンネルを回し、ぽりぽりと餌を齧りながらお昼の情報番組や相撲なんかを一通り見る。

少し飽きてくると立ち上がり、引き出しを器用に開ける。飼い主のへそくりを数え、「チッ シケてんなぁ」と舌打ちをする。 そこから数枚紙幣を引き抜き丁寧に引き出しを締める。

外にでて、競馬に行く。ほどほどに楽しんだあと、小腹が空くので住宅街の外猫のために置いてあるエサ置き場に向かう。 ゴミや汚れがついてなさそうな餌を選別して数粒手にしたところ、そのシマの猫が現れたため走って逃げる。

パチンコ屋に逃げ込んで、用を足し、せっかくきたのだからと少し打つ。

出だしから大きく負け、手持ちのお金がほとんどなくなりしょんぼりとパチンコ屋を後にする。

路肩で呑気に羽干ししたりパンくずを啄んでいる鳩がいて、むしゃくしゃするので、殴るふりをして脅かしてみる。

電気屋の前を通った時時計がチラッと見えたので家に帰る。

体の汚れをしっかりと舐めて綺麗さっぱりしたところで玄関の鍵の開く音がする。

「ただいまぁ。」の声がする方へ四つ足ですたすたと歩いていく。